勇気の一歩~シングルマザーの振り返りとこれからのこと~

アラフィフのシングルマザーです。3人の子どもたちも成人し、時間のゆとりができました。これまでの子育てとこれからの子離れについて綴ります。

方向を決めたら一歩踏み出すだけ

離婚するか踏みとどまるか、

小学生と幼稚園児を育てながら丸2年悩みました。

 

決め手になったのは、一番パパに懐いてた長男に、泥酔した元夫が

「お前らさえいなければ俺はもっと自由に生きられたのに」と言い放ったこと。

ショックを受けた長男をなんとか寝かしつけましたが、

夜中に目を覚まして「パパは僕のこと嫌いなの?僕がいないほうがいいの?」

と泣きじゃくりました。

 

許さない。

 

私も私で当時メソメソうじうじした毎日を送っていたのですが、

あの夜、私の大切な子どもたちにあの父親はいらない。

息子を抱きしめながら、強くそう思いました。

 

方向を定めたら、後は進むだけ。

自分がこんなに頑固な人間だったことに自分でも驚きでした。

母は強し。ということかもしれません。

 

その前にも、いろいろあってもう無理だ・・・と思ったときに、

実家にも離婚したいと相談していました。

両親は、辛い気持ちはわかるが、三人の子どもを

女手一つで育てるのは、大変な苦労をするのが目に見えてる。

もう少し落ち着いてよく考えなさい、というスタンスでした。

 

でも、再び決心を伝えにいくと、すべてを理解してくれた父は

「離婚するのは親の都合で子どもたちは何も悪くない。

何よりも子どもの幸せを第一に、最善の方法を一緒に考えよう」

と言ってくれました。

母は「ずっと我慢して、辛かったね」と一緒に泣いてくれました。

悠々自適な夫婦水入らずの老後を過ごしていた両親に

こんなに心配かけて、情けなくて。。

でも私の体を気遣って、決意を尊重してくれたこと。

本当に嬉しかった。

 

とにかく別居しよう。あの家では暮らせない。

 

その頃の私は、夫の帰宅時間が近づくと頭痛や吐き気がして、

全身で夫に拒絶反応を示すようになっていました。

 

これからのことを子どもたちに話すこと。

ここが自分にとっては最大の山場でした。

 

このあたりの記憶を呼び戻すのはやっぱり少し疲れますね。

 

続きはまた明日書きます。

おやみなさい。

 

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先生に会いたくなったら

帰宅してから20時間眠り続け、足の爪は剥がれ、

数日間は傘を杖替わりにしないと歩けなかった過酷な富士山登頂後、

山から遠のいていた私に山登りの楽しさを教えてくれたのは中学時代の恩師でした。

二十数年ぶりに同窓会で再会し、山登りにお誘いいただき、

今度こそは!と、ちゃんとした装備で参加しました。

 

林間学校のときのように一緒に歌を唄ったり、

山に咲いている珍しい植物の名前や、

山頂で飲むワインのおいしさを教えてくれました。

 

いつも歩くペースを合わせてくれて、

そばで励ましたり笑わせたりしてくれました。

 

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何度か連れて行ってもらううちに、山の魅力に取り憑かれ、

このまま先生にもっといろんなことを教わりたかったし、

教われるものだと思っていました。

 

でも、ある日入院したという知らせがあり、

「絶対退院するから、そしたらまた山に行こうな」と

メールをもらってから数週間後、先生は旅立ってしまいました。

 

私よりずっと健脚でタフで酒豪で、

すぐに回復してまだまだ続くと信じて疑わなかった先生の命の灯が

こんなにあっけなく消えてしまったことに愕然としました。

心に大きな大きな穴が開きました。

 

そして、同窓会の日の山登りのお誘いを、

仕事が落ち着いたら、とか、子どもの受験があるので、

なんて言い訳して先延ばしにしてたら、

一生後悔してただろうな、とも思いました。

 

大切な人や大好きなことのためには、

時間は作るもの。都合はつけるもの。

 

短い期間だったけど、先生と過ごした山での時間は

中学生の自分との対話にもなったし、

あれから酸いも甘いもいろんなことがあって大人になり、

でも自分なりに一生懸命生きていたから、先生とも笑顔で会えた。

通信簿は赤点だらけでツッコミどころ満載かもしれないけど、

”よく頑張ったで賞”はもらえるような気がしたから。

 

それに、山に登るといつでも先生に会えます。

ふうふう言いながら山道を歩き、ふと空を見上げると、

先生の優しくて力強い声が聞こえてくるのです。

 

自分のペースで、無理せずに。

歩幅は小さく。でも歩みを止めないで。

疲れたら少し休もう。

 

少し休んだら、またゆっくり歩き出そう。

 

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初めて登った山が富士山でした

再就職して間もない30代半ば、友人たちに誘われて富士山に登りました。

 

それまで登山の経験はほとんどなく、

初めてのちゃんとした登山が富士山でした。

無知って本当に恐ろしいですね。。

 

買ったばかりの登山靴に、息子が遠足で使ってるリュック、

ふつうのチノパンという何とも適当な装備で挑んだわけですが、

5合目から登り始めて、6合目にも着かないうちにバテバテ、

本気でもう下山したい・・・と後悔し始めました。

 

遅れがちな私を気遣って、荷物を友人が持ってくれて、

叱咤激励されながら、騙し騙し、なんとか本8合目の山小屋に到着。

体はめちゃくちゃ疲れてるのに、硬く湿った枕とお布団で一睡もできず、

暗いうちにまた出発し、酸素も薄~い極寒の中、

這うようにしてごつごつした岩場を歩き続け、

疲労困憊で日の出前に頂上にたどり着きました。

 

酸欠気味で放心状態の中、雲海からゆっくりと昇ってくる火の玉のような

神々しいご来光を見たときは涙が止まりませんでした。

 

富士山のてっぺんから、実家に預かってもらってる子どもたちに

感動を分かち合いたくて電話しました(当時はまだガラケー)。

娘は寝ぼけながらも「ママすごいね」と言ってくれました。

 

そこからの下山がまた大変で、途中から完全に膝が笑ってしまって、

一歩踏み出すたびにくにゃっと転んでしまい、まともに歩けなくなりました。

友人からは「真面目にやれ!」と言われ、

すれ違う知らない小学生からも指さして笑われる始末。

まさに生まれたての小鹿そのものでした。。

二人の友人に両脇を抱えられながら引きずられるように下山したけど、

足の指の爪は何枚か完全に死んで剥がれ落ちていました。

 

そんなこんなで、90%仲間のおかげで富士登山を成し遂げられました。

最後まで私を見捨てないでいてくれたみんなには感謝しかありません。

そしてもう二度と登ることはないでしょう(迷惑かけすぎるので)。

 

でもそれからの人生で辛いことにぶち当たったときに、

「私は富士山に登った女」と魔法の言葉をつぶやくと、

あの辛かった富士登山を思えば何のこれしき!!と力がみなぎってくるのです。

 

その後、登山にハマり、いろいろな山に登り、

いろんな角度から富士山を眺めてきました。

 

そのたびに、あの日あの稜線のてっぺんにいたんだよなぁと、

異次元の風景のようなご来光を思い出すこともできる。

登頂した人にしか見ることのできない光景は

かけがえのない一生の宝物です。

 

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 勇気を出して一歩踏み出し、

日本で一番高い場所に登ったことで、

物理的にも精神的にも新しい視座を得ることができました。

 

あのとき思い切って挑戦して本当によかった!

誘ってくれた友人に心から感謝です。

 

雨の日に思い出すこと

九州南部は今日、観測史上2番目に早い梅雨入りしたそうですね。

 

雨が降ると、ときどき思い出す出来事があります。

 

離婚が成立し、母子4人でURの賃貸で暮らしていた頃のある平日の夜。

仕事から一旦帰宅してから、歩いて1~2分の距離にあるスーパーに夕食の材料の買い物に行きました。店内をうろうろしていたら、外から夕立の音が聞こえてきました。傘は持っていなかったけれど、走れば一瞬で帰れるし、気にも留めていませんでした。

会計を済ませて出口に向かうと、なんとびっくり。

小学校4年生の長男が傘を持ってお迎えにきてくれていました。

 

「ママが雨に濡れちゃうと思ったから」

 

幼い頃から大学院生になった今でも、いつも長男は長男として、私を心配してくれたり笑わせてくれたり、大きくて温かい力になってくれています。

 

多くの人たちができている結婚生活を自分は続けられなかったことに挫折を感じてたこともあったけど、子どもたちの優しさに何度も救われてきました。

 

私が子どもたちを守っていくのよ!と意気込んでシングルになったけど、

子どもたちが私を支えてくれています。

 

二人で傘を差しながら帰ったあの優しい雨の夜道。

今でも思い出すとほろりとしてしまうのです。

 

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信号が青に変わるとき

離婚という選択肢が視野に入ってきたとき。

ずっと3人の子育てに追われて、週イチのパートしかしてなかった自分が

どうやって生活していくのかと考えたときに、

とりあえず離婚するにしても踏みとどまるにしても、

フルタイムの仕事に就くための就活をしようと思いました。

 

しかし、大した学歴も特技もなく、社会人経験(病院で栄養士してました)も2年程度、エクセルもパワポも未経験の30代子持ちの自分を雇ってくれる企業なんてあるのだろうか。

普通免許以外にも何か履歴書に書ける資格を取ろうと思い、

栄養士としての実務経験はギリギリ満たしていたので、

管理栄養士の国家試験を受験することにしました。

管理栄養士なら再就職の際に若さを重視されることもなく、多少の経験もあり、

一生働けると思ったからです。

 

と一念発起してみたものの、15年ぶりの受験勉強は何から手を付けていいのかもわからず、もちろん受験を快く思っていない夫の協力も得られず、家事を終わらせ子どもたちを寝かしつけてからの限られた勉強時間は、いつも睡魔との闘いでした。

 

奇跡的に一度目の受験で合格通知が届いたとき、

選ぼうとしている道に進みなさい、と神様が背中を押してくれたような気がしました。

 

結果的には管理栄養士の資格が必要な仕事には就かなかったのですが、

新しいことに挑戦する筋力がつきました。

 

学んだ知識はかけがえのない財産として自分の中に残るし、

結果が伴ったことで、ブランクがあっても努力すればできるようになる!

という自己効力感に繋がりました。

 

何かが大きく変わろうとするとき。

自分が進もうとしている道にたくさんの信号機があり、

最初は赤信号なのだけど、次々に青に変わっていく感覚があります。

 

赤なのに信号無視して目をつぶって道路に飛び出すのは危険です。

ママは子どもの手を引いてるから。

青に変わるタイミングがきたときに、

すぐに渡れる準備をしておくことが大切だと思っています。

 

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母の日

NPO法人フローレンスの駒崎弘樹さんの記事を読みました。


私の母の日の過ごし方は、

母親には毎年プレゼントとメッセージカードを贈り、

子どもたちからもほっこりするプレゼントやお手紙をもらったり、

スルーされれば、ま、そんな年もあるよね、と若干寂しかったり。

といった、お年頃の男子にとってのバレンタインデーのような位置づけでしょうか。

 

駒崎さんのnoteに掲載されたグラフを見ると

日本のワーママ、本当に頑張ってる。

パパも、家事育児にもっと時間を使いたくても

長時間労働や、男性の育休がまだまだ取りづらくて…など

ままならない現実もあるのかもしれないけど。

 

そして母子家庭の貧困率の高さ。。

私たちシングルマザーって、

こんな逆風の中でよく踏ん張ってきたんだなぁ。

でも、それを経験した一人として、

美談として片づけてしまったり、

私も頑張ったんだからあなたも頑張りなさいよ、

というスタンスでは社会は良くならないですよね。

 

ワンオペ育児、ひとり親になったときのセーフティネットの脆弱さ。。

子どもを育てることがこんなにハイリスクな社会だと

何人も産みたいって思えなくなりますね。

少子化も進みますよね。。

 

ちなみに児童扶養手当ですが、当時おおよそ

第一子は40,000円、第二子5,000円、第三子3,000円でした。

第三子3,000円て。。。中学生のお小遣い程度ですよね。

今後はもっと改善されていくことを切に願います。

 

自分の場合ですが、離婚を決意してから、すべての判断軸を

子どもの幸せを最優先に準備をしました。

母親が無知であることは子どもに対して無責任だと考え、 

自治体のひとり親支援制度や奨学金など、

あらゆる使えそうな制度について徹底的に調べました。

 

もともと金銭感覚はどんぶり勘定な性格なので、

お金のことに関する元夫との交渉は苦手意識が先に立ち、

もう関わりたくないから養育費はあきらめようか…と心が折れかけましたが、

すべては子どもたちを守るためなのだから、と覚悟を決めて調停を申し立てました。

ここで合意決定された養育費は金額・期間・支払い方法が明文化されます。

弁護士費用や、何度も裁判所に通って元夫のでたらめな言い分を

聞かされるのは本当に苦しかったけど、

今となっては私と元夫には必要なプロセスだったと思っています。 

 

今は行政から税金や給食費を免除されたり

援助してもらったりする社会的弱者だけど、

いつか子どもたちを立派な納税者に育てて社会に恩返しするんだ。

そう自分にも子どもたちにも言い聞かせて矜持を保っていました。

 

 

そうやって無我夢中で生きてきて、

第三子も二十歳になった今年の母の日。

昨年一念発起してワインエキスパートの資格を取得した私に、

ワインとワイングラスのプレゼント。

感無量です。

 

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私の子どもに生まれてきてくれて、

私をお母さんにしてくれてありがとう。

 

私にとっての母の日は、

いくつになっても気にかけてくれる実母に改めて感謝の気持ちを伝える日。

そして、子どもたちにも感謝する日なのです。

  

忘れる力


離婚しようか踏みとどまろうか迷っていた17年前頃の

真っ暗なトンネルの中をさまよっていた記憶がすっかり薄れています。

 

元夫とは、養育費は毎月振り込んでもらってるけど、

調停離婚成立後はまともに顔を合わせたこともなく、

興味関心がまったくありません。

夫婦だった10年間の記憶もおぼろげです。

 

好きの反対は嫌いではなく無関心って真理ですね。

 

あんなに心がえぐられるような苦しみも、

いつかかさぶたになり剥がれ落ちるように、

時が経てば忘れられる。

 

時間は頼れる味方だし、

失敗をネタにして成仏させる方法を学び、

人は強く逞しくなれるのだなぁ、としみじみ思っています。

 

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